やまゆり学園のお話

パラリンピックの聖火とやまゆり学園は関係ないと思っていた。今日の新聞に1964年東京オリンピックの年に人里離れたところに町では暮らせないと建てたものと知った。50年余りたち、地域で暮らす障害者は増えた。多様な人間がともに楽しく交流できるようにすることはオリンピック精神に掲げることで、生産性や能力で評価しない社会になって、誰も取り残されない仕組みを考えることを忘れないようにしたいと綴られていた。記事を読んで、聖火とやまゆり学園は関係ないと思っていた自分の考えの間違いに気が付いた。ちなみに元素分析受託事業を始めたきっかけは、元素分析に対する研究者の誤解を解こうと思ったこと。理解しないと不満に思うこの頃であったが、反省!記者の心を込めた丁寧な説明にめからうろこの思いがした。